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観劇こそ我が人生

~観劇備忘録~

「オーファンズ(2016)」観劇【感想】

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海外戯曲に若手俳優起用とは面白い。という理由で観てきましたよオーファンズ。
制作にしては珍しい題材持ってきたな、と思っていたら作品自体は柳下くんと演出の宮田さんが選んだ作品みたいですね。
 
でも結果的には観に行って良かったです。
脚本の質の高さと演者の熱量に最後は思わず涙を流してしまいました。
そんなデトックス劇。
 
 
※以下、ネタバレ注意※
 

簡単なあらすじ

アメリカ・フィラデルフィア、北カマック通り6040番地の長屋に住むトリートとフィリップ兄弟。
そこは彼らの住む家であり、そこだけが彼らの世界だった。
兄のトリートは日々の生活費を盗みで稼ぎ、病のせいで外に出られない弟はずっと家の中で過ごしていた。
そんなある日、トリートはバーで知り合ったハロルドという金持ちらしき男と共に家に帰ってくる。
酔い潰れて寝てしまった男を見て「こいつは実業家に違いない。良い金ヅルになる」とハロルドを紐で縛り監禁するトリート。
しかし、あっさりと縄を解いたハロルドに「一緒に仕事をやらないか」と逆に誘われてしまう。
 
優しく自分に語りかけ、理解を示し励ましてくれるハロルドにフィリップはすぐに懐いたが、トリートはハロルドに対して気を許そうとはしなかった。
その上トリートは気性が荒く、いつも暴力沙汰を起こしていた。
そんなトリートにハロルドは「自分の感情をコントロールしろ」と窘める。
一方でハロルドはフィリップのことを何かにつけて褒めた。
自分の元で、自分のことと家の中のことしか知らなかったフィリップが、ハロルドによってどんどん変わっていく。
自分一人だけが置いて行かれているような孤独感に苛まれ、不安が募るトリート。
ついにはフィリップが自分の知らないところで勉強をしていることを知り、トリートはフィリップにまたもや怒りをぶつけてしまう。
そこへハロルドが帰ってくるのだが、何やら様子がおかしい…。

個々の感想

ハロルド/高橋和也
声が素敵!と思ったらシンガーソングライターで吹き替えもやられているらしい。通りで。
ワイルドなのに根底からの優しさを感じる高橋さんのハロルド。
兄弟の全てを包み込んでくれるような人間の温かさと懐の広さが伝わってくるようで素敵でした。
 
トリート/柳下大
クールな役しか観たことがなかったので短気な役が新鮮でまず驚いた。
元々芝居が上手いとは思っていたけれど、どれだけ引き出しがあるのかと今後に期待したくなる熱演ぶり。
最後、ハロルドが死んだあとにじわじわと悲しみの感情が外に溢れだしていくところでは涙を誘われた。
 
フィリップ/平埜生成
くんの何を考えているのか分からない(見えない)性格が良い意味?で出ていた役なんじゃないかなと。
素直さと愛らしさがフィリップの良いところだと思うので、演技っぽいとかあざといとかは抜きに、愛される人間とはこういう子のことを言うんだろうなと素直に感じた。
 
 
***
 
 
言葉には不思議な力がある。
例えば人を動かしたりするのも言葉だし、人を抑えつけるのも言葉だ。
言葉はまるで魔法のように人を喜ばせることも不安にさせることも出来る。
そして脳は単純で、一度覚えたことはどんなに抗おうとも癖になって反応してしまう。
覚えた快感を求めて同じ行為を繰り返したり、覚えた恐怖から逃れる為に二度と同じ行為をしないようにしたり。

家族から愛を受けたことがなく、与えられたものを素直に受け取るフィリップ。
社会からも家族からも置いていかれて与えられたものを中々信じて受け取ることができないトリート。
自分が欲しかった家族という名の温かさを兄弟に捧げるハロルド。

この会話劇は「言葉の強さ」と「相手に心ごと触れる行為」が重要なキーワードになっている。
 
もちろん、言葉の他にもヘルマン・マヨネーズだったりオキシドールだったり、この作品では小物にまでちゃんと兄弟の心の変化を表す意味を持っている。
1幕ではまるでゴミ屋敷のように汚らしかった部屋も、ハロルドが住み着くようになってからの2幕ではきっちりと整理整頓されていた。
その変化と共に変わっていくのがフィリップで、何も変われないのがトリートだった。
フィリップはトリートが作るツナサンドに飽きて、ハロルドが作るコンビーフとキャベツが好きになっていった。
そんなフィリップにトリートは内心焦ってしまう。
 
フィリップの中でトリートが全てだったように、トリートにとってもフィリップは唯一無二の存在だった。
知らないこと以上のことを知ることが出来ないからそれ以上を知る術も知恵もない。
フィリップをそう育てることによってクソみたいな世の中で弟だけが自分を慕って頼ってくれている(少なくともトリートはそう思っていただろうが、フィリップがそう思っていたかまでは分からない)。それだけが彼の心の支えだったのかもしれない。
しかし、ハロルドが来たせいでフィリップはあっさりとハロルドを慕うようになってしまう。
父親も母親も居なくなって、子供ながらに「自分がどうにかしなくては」「弟を護らなくては」という気持ちが特に強かったのかもしれない。
日に日に社会への憎しみと孤独で寂しい心を自制する気持ちが増していき、ついには自分自身が歪んでしまった結果が今のトリートなのかもしれないと思ったら、どんどん自分から離れていく弟の姿を見ることは悔しさよりも絶望の方が大きかったに違いない。
2幕で大量に平積みされたままのツナ缶が妙に物悲しかったのを覚えている。

一方、兄のせいで恐怖心というトラウマを押しつけられ、未熟に育ってしまったフィリップ。
隠れて勉強はするものの、兄の言うことが本当か嘘かも判断が付かない自分は外に出ることすらできない。
そんなフィリップにハロルドは世界を教えてくれた。
靴ひもを結ばなくても生きていけることやテーブルマナー。温かな手に抱かれた時の気持ち。頭を撫でられた時の感触。
兄が絶対に自分には与えてくれなかったものをハロルドは何だって与えてくれた。
そして誰かに認められるという行為で、初めてフィリップはフィリップ自身になることができた。
トリートの言うことが嘘か本当かも判断出来るようになった。
そうして気付いた兄の姿は弟の目にどう映ったのだろうか。

しかし、そのハロルドが死んで、動揺する兄を見てフィリップはトリートを何も言わず抱きしめた。
まるで死んだハロルドの代わりのように。
そして、ようやくその腕の中に身を預け、声にならない声を上げて泣くトリート。
もうハロルドが肩を抱いてくれることはないけれど、きっとこれからはフィリップがトリートの肩を抱いてくれるのだろう(あくまでも憶測だが)。そこに少し、救いが見えた気がする。
実際のところ、ハロルドが死んだ後の兄弟の暮らしがどう変わったのか劇中では描かれていないが、ハロルドの存在によって人の心に触れる、触れられる勇気を兄弟が持って未来を生きていることを願うばかりだ。
 
反社会的で自分以外を信じることが出来ない兄と、無知故に兄以外を信じる術を持たない弟の閉鎖的空間にやってくるハロルドという母のような父のような温かな存在。
パンフレットの座談会の中で「ハロルドはもしかしたら天使なのかもしれない」と書いてあったけれど、本当にその通りだなと思う。
まるで野犬のように育ってきた兄弟に、決して力で抑えつけることも手放すこともせず優しく温かい光へと導いてくれるハロルド。
恐らく作者であるライル・ケスラーはハロルドに自身を投影してデット・エンド・キッド(死の縁で生きる子供)に語りかけていたのだろう。

「この世に正義なんて存在しない」「こっちにおいで。励ましてやろう」

ハロルドの言葉ひとつひとつは、まるで雨のように優しく兄弟に降り注ぎ、兄弟の皮膚から心に沁みているように思えた。

そして、観ている観客の心にもじわりじわりと沁みるような、そんなお話だった。


「オーファンズ」
【スタッフ】
脚本/ライル・ケスラー 翻訳/谷賢一 演出/宮田慶子
【キャスト】
柳下大/平埜生成/高橋和也

東京公演
2016年2月10日(水)~21日(日)
会場:東京芸術劇場 シアターウエスト

兵庫公演
2016年2月27日(土)・28日(日)
会場:新神戸オリエンタル劇場
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