読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

観劇こそ我が人生

~観劇備忘録~

ミュージカル「ジキル&ハイド 2016」【感想】

ミュージカル さ行
f:id:ppboo013974:20160312225044j:image
 
初!東京国際フォーラム ホールC!
初!「ジキル&ハイド」を観劇してきました!
 
ミュージカルコンサートなどでこのジキル&ハイドの楽曲はよく聴いてはいたものの、物語としてのジキル&ハイドを観たことがなかった私。
念願の観劇でした。
研究者として逃れぬ探究心という名の欲望。
最早父のためにを言い訳に、自分のこれまでの「知りたい」欲を貫いてしまったばっかりに後に引けなくなった悲しい男のお話だった。
色々と腑に落ちない点はあったものの、なんと言っても歌が良かった。
ワイルドホーン氏の楽曲は先進的でキャッチーな曲が多いのでとても好きです。
観終えた後、素直に「耳福!」って思えた作品。
 
※以下、ネタバレ注意※
 

簡単なあらすじ

19世紀後半のロンドン。
医者であるヘンリー・ジキルは心を患った父親のために善と悪を分離させる薬を研究し、開発した。
結婚を間近に控えていたジキルだったが、婚約者であるエマの父親であるダンヴァース卿の計らいで人体実験の要請を最高理事会に出すも相手にされない。
途方に暮れるジキルを励ます為に彼の弁護士であり親友でもあるジョン・アターソンは夜の街に誘う。
そこで出会った娼婦ルーシーの言葉で自分自身を実験体に使うことを思いついたジキル。
研究室に戻り薬を飲んだジキルに、やがてもうひとつの顔が浮かんできた。
悪の顔を持った男は自身をエドワード・ハイドと名乗り、「自由だ!」と呼びながら夜の街に繰り出す。
その後、1週間研究室に篭り続けるジキルと同じ頃に最高理事会のメンバーばかりが狙われた惨殺事件が立て続けに起こる。
心配するエマとアターソンが見守る中、ジキルは自分が加害者であることに気付き、苦しみながらなんとか自分の中に居るハイドを抑えつけようとするが……。
 

メインな人達の感想

ヘンリー・ジキル&エドワード・ハイド/石丸幹二
去年の「ライムライト」振りな幹二さん。改めて滑舌がとても良い。
序盤、今井さんと石川さんと3人で喋るシーンでは滑舌の良さと声の聞き取りやすさがまず耳についた。
個人的に1幕より2幕の石丸さんが勢いがあって好き。
ハイドが出てきた後のジキルはより優しさが際立っていたし、「時が来た」はもちろん「対決」での攻防戦は素晴らしかった。
鹿賀さんのジキハイを観ていないから分からないけど、きっと石丸さんだからこそ、このジキルとハイドが生まれたんだろうなと思った。
そしていつ拝見してもダンディー…
 
ルーシー・ハリス/濱田めぐみ
"年端もいかない少女"の設定だからこその役作りであったのだとは思うのだが、例え実年齢とかけ離れていても、まるで少女のような無垢な心が透けて見えるのは濱田さんの人柄故なのだろう。
ジキルの優しさをいつまでも忘れられず恋に酔う少女の可憐さと、貧しい中で生きていかなければならない辛さを飾らない心と圧倒的歌唱力で表現する濱田ルーシーにすっかり後半は魅入ってしまっていた。
あといつも思うのだが、どんな役でもカーテンコールになるとただの濱田めぐみに戻って、ニコニコキャッキャしている姿が可愛くて仕方がない。
 
エマ・カル―/笹本玲奈
私、実は笹本玲奈さん今回が初見なのだった。
何の因果か全く観劇する作品に彼女が掠らなくて、いつか観てみたいなと思っていた女優さんの1人で、ようやく観ることが出来たという感じ。
歌声は柔らかく伸びやかで、子守唄でも歌って欲しくなるような心地良さはエマの母性にぴったりで、ジキルもルーシーも人間としての弱さが目立つ役だったから、エマの芯の強さと凛とした姿でジキルを受け入れる懐の深さが際立っていたように思う。
そしてパパやジキルに腕を伸ばして駆け寄る姿はとってもキュートだった。
 
ガブリエル・ジョン・アターソン/石川禅
1幕では陽気でおちゃらけたキャラクターが悪い空気をそれとなく搔き回してくれる、空気清浄機みたいな役割を果たしてくれていた禅アターソン。
石川さんの人柄もあり、ジキルのことを親友として何とかしなければならないと気をかける姿はとてもぴったりだった。
個人的に踊るとおじさんが前に出ちゃう感じがとても好きです。
でも「嘘の仮面」で娼婦と絡む時の禅さんはとってもセクシーだった。
 
ダンヴァース・カルー卿/今井清隆
今井清隆さんの歌声は相変わらず神ヴォでした。パパ役もぴったり。
 
アンサンブル含め、以外と少人数体制だったのがカーテンコールで発覚してびっくり。
個人的にジキハイはアンサンブルの曲が好きなのでとても良かったです。どの曲もかっこいいよね。
 

感想

 
父の為に始めた実験にも関わらず、自分の探究心という名の欲望にどんどん抗えなくなり、やがて引き返せないところまで行ってしまうジキルの苦悩を素敵で歌ウマなおじ様が演じることによって目から耳から引き込まれる作品に仕上がっていました。
イケてるオジサマの歪んだ表情はご馳走です。(冗談です)
 
「闇の中で」の時に父親の手を握りしめ、「父を救いたい」と強く思うハイドの気持ちは本物だったとはもちろん思う。
けれど、化学者の悲しき性というか、逃れられぬ結末というか、「この命尽きる日まで」が叶うことも自分の研究が上手くいくこともなく、結局最後は愛する人と普通の人生を歩み始めようとしたジキルにはちょっと拍子抜けした。
まだ、アターソンによってジキルのことを想ってくれる親友が居るという事実がジキルの死をより一層深め、観る側の悲しみの量は増したけれど、もう自業自得の人生としか言えなかった。
し、あれだけジキルに振り回されるだけ振り回され、て最後にとても悲しい役割が待っているアターソンの方が可哀想だった。
あくまでジキルの姿では殺せない、という意思だったのだろうなアターソンは…ウッ
アターソンどんだけ良いやつなんだ。
 
そもそも、何故ジキルはハイドに勝てなかったのか。
私はジキルとハイドのやり取りを見ながら「アリス・イン・ワンダーランド」のアリスと帽子屋の関係をちょっぴり思い出していた。
結局、人間はこの作品で言うハイドを抑える為に理性というものを持っているのだが、ジキルは研究者故に誘惑という名の欲望にただ勝てなかった。
「父の為に」という強い意志が本物だったなら、意地でも被験者を捕まえて薬を飲ませたはず。
それが自分自身を実験体にしてしまった。これもまた欲望だったのだ、きっと。
そしてハイドは自由を求めていた。
今までジキルに抑えつけられていた苦しみ(それはきっと別の形でジキルによって放出されていた)から解き放たれ、自分自身の思うがままに動ける喜びがジキルの心より勝ったのだ。
そして、ジキルは自分の中に潜む悪が犯した様々な犯罪を見て、竦んでしまう。
見たくもない現実。逃れられない事実。消せない過去。
だからこそジキルがハイドを抑えつけた後、あの研究とハイドに背を向けて逃げてしまった時点でジキルはハイドに負けてしまっていたのだ。
 
最後、エマが死んだジキルを腕に抱いて周りを睨みつけたのは、「あなたたちのせいでジキルは死んだのよ」とでも言いたかったのだろうがそれはとんだお門違いだ。
あそこでアターソンがハイドを殺さなければエマがハイドに殺されて、ジキルはもう二度と立ち直れなくなってしまう。
そしてジキルがジキルのままで居続けられる保証もない。
アターソンもそう思ってジキルを撃ったんだと思う。
それほどジキルの心は弱かったのだ。
 
人間は、善と悪のどちらかだけでは幸せになれない。
どちらかが欠けていては人間として成り立たなくなってしまう。
善と悪のバランスを上手く取り合いながらでないと、人間は上手く生きていくことが出来ない。
この作品からは、そう教わった気がする。

 

おまけ

今回3階前方席での観劇でしたが、3階席でも充分満足出来ました。
私の装備が眼鏡on10倍率の双眼鏡だったのもありますが、全景と人の動き、歌を聴くだけなら申し分ないです。
肉眼で表情を読み取ることは難しいですが、大体鉛筆キャップくらいの大きさで観ることが出来るので肉眼だけでもそんなに悪くないと思いますよ。
(鉛筆キャップとか10年以上振りに言葉にしたな…)
 
以上、おまけの「東京国際フォーラムホールC」3階席のレポートでした。
 
 
ミュージカル「ジキル&ハイド」
 
【原作】R・L・スティーブンソン
【音楽】フランク・ワイルドホーン
【脚本・詞】レスリー・ブリカッス
【演出】山田和也
【上演台本・詞】髙平哲郎
 
【出演】
石丸幹二 濱田めぐみ 笹本玲奈
石川禅 畠中洋 花王おさむ 今井清隆 他
 
2016年3月5日(土)~3月20日(日) 東京・東京国際フォーラムC
2016年3月25日(金)~3月27日(日) 大阪・梅田芸術劇場 メインホール
2016年4月8日(金)~4月10日(日) 愛知・愛知県芸術劇場 大ホール

 

Jekyll & Hyde: The Musical (1997 Original Broadway Cast)

Jekyll & Hyde: The Musical (1997 Original Broadway Cast)

 

 

広告を非表示にする