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観劇こそ我が人生

~観劇備忘録~

「毛皮のマリー 2016」【感想】

ストレートプレイ か行

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※Twitterに呟いたものをまとめて手を加えた記事になります。

お香の匂いが立ち込めるロビーを潜り抜け、場内の昭和歌謡(?)を聞きながら開幕したお芝居は、中々アバンギャルドな不条理劇であった。
美と醜の対比と、芸術的、哲学的表現で独特な世界が作り上げられていたのだが、一見理解不能なクレイジーさがありながらも、本質は何とも悲しい親子愛のお話。

「黒蜥蜴」振りの美輪さんだったけれど、相変わらず所作が美しい。
そして、美輪さんだからこそ生きるあの台詞達はきっと幸せにあの場所を生きていたに違いない。

※以下、ネタバレ注意※

簡単なあらすじ

大正57年。
男色御当家家元三代である「毛皮のマリー」は、下男と鶏姦詩人、そして美少年の欣也と共に暮らしている。
18になる欣也は外の世界に出たことがなく、いつも応接間でマリーが放った蝶々を捕まえてはそれを標本にして遊んでいた。
欣也が「マリーさん」と呼ぶとマリーは「お母さんとお呼び」と怒鳴る。彼はマリーを自分の息子として育てていた。
そんな小さく狭い世界で生きる欣也を横目に、今日もマリーは下男に剃刀で全身の毛を剃らせ、香水を身にまとい、外へと出掛けて行く。
そしてマリーが留守にした途端、上の階に住む美少女が欣也の元へと忍び込んでくる。
マリーが戻って来たら怒られてしまうとひどく慌てる欣也を他所に、美少女は欣也に外の世界の素晴らしさを説き続けた。
しかし、外の世界に出てはいけないからと欣也は美少女を拒む。そこへマリーが戻って来てしまう。

下男は、マリーと違って醜女のマリーと呼ばれていることを気にしていた。
そしてマリーに憧れている下男は、毛皮のマリーごっこを始め、様々な美女に変身をする妄想を繰り広げる。
しかし、マリーが下男を呼ぶ声で我に返った醜女のマリーは、馬よりも逞しい死に方を望みながら下男へと戻って行くのだった。

名もない水夫と部屋に戻って来たマリーは、快楽を楽しんだ後、自分と欣也の身の上話をし始める。
欣也は、女装した自分に恥をかかせた女を雇った男に強姦させて生まれた子供だった。
それを偶然にも聞いてしまった欣也は……。

 

感想

寺山さんの書く台詞はなんでああも美しいのだろうか?
長くまどろっこしい台詞なのに無駄なところはひとつもなくて、そのひとつひとつの台詞が舞台の照明やセット、衣装などの一部のようになっている気がした。
「まるで何億年も先にある星を見つける勢いでアタシを睨み付けて彼女は言ったわ」なんて表現、他ではあまり見かない。

裸体祭りとは噂に聞いていたけれど、あそこは美輪さんによる高貴なお人形遊びって感じなのだろうか。コスプレも然り。
「トッカータとフーガニ短調」に合わせてハードゲイな格好をした良い身体付きのマッチョズが、肉体美見せつけながらセンターへとやってくる感じは、中々クレイジーで笑うべきか賞賛すべきか迷うところだった。
醜女のマリーの妄想劇で紐パンTバックだけの男達が舞台ギリギリまで前に出てきて、全員が一列に並んで総勢12人くらいでラインダンスをしていたのだけれど、幕間で後ろに座っていたおじさまが「俺目のやり場に困っちゃったよ><///」と言っていて可愛かった。


劇中にて、美少女の登場シーンにモーニング娘の「LOVEマシーン」かかっていたのだが、あの曲が出る前は何を流していたんだろう。
知らない昭和の歌謡曲もいろいろと流れていてとても興味深かった。

 

欣也役の観修寺くんは儚い可愛い系美少年。
短パン白ソックスサスペンダーはテッパンですよねありがとうございました。
劇中では18歳の設定だったが、現実を見始めた欣也が「外に居る僕は今よりも若くない。老けている」的なことを言っていたのが気になる。
部屋の中では18歳の少年だけれど、一歩外の世界に出たらもう坊や扱いされない彼の恐怖心の現れだったのだろうか、それとももう18歳をとうに過ぎた大人だからだろうか。
マリーが16の時に引き取ったって言っていたから年齢的には18で合っていそうだけれど、その18歳ですらマリーの中での設定なような気がしてならない。

下男役の梅垣さんに、いつ鼻からピーナッツされるのかと思ったけれど、そんな要素は全くなかった。
燕尾服の下男姿から化粧をして女の鬘を被り、長いドレスを翻して踊る醜女のマリーは、梅垣さんの年齢に伴った身体付きと相まって悲壮感が大きく漂っていた。
醜女のマリーが「役者は舞台の上で何度も死ねるし何度も蘇ることができる。でもアタシは死んだらそれでおしまい」的なことを言っていたのだけれど、それは身体のこともそうだし心に関しても同じことが言えるよなあとぼんやりと思った。

若松さんの女装も中々だったのだけれど、何がびっくりしたって太ももが美脚。
そして、美少女役だけに偽物の乳房が洋服の上から付けられていたのだけれど、あれはあの作品の中で唯一れっきとした「女」だということを主張させる為に付けられていたのだろうか?(他の男達も心は女であるが、身体は男なので完全な女ではない)

台詞が叙情的でありながら、その中に現実を恨むように入り混じる鋭く尖った言葉達。
美しい言葉の中に隠された、母から子へと向けられた使命感や執着心のような感情は現代にも通じるところがある。
子は母のものである。それは昔から今となっても変わることはない普遍的な価値観であり、子を産んだ母親でしか分かり得ない感情なのだろう。
しかもそのことに対して当の本人は自覚がないのだから、子どもにとっては迷惑な束縛行為でしかない(それでも最終的に欣也は母親の元に戻るのだが)
それを男娼で表現することによってユーモアに仕上げているのだろうが、マリーの心はれっきとした「女」であるので、ギャグとして捉えられないのが中々複雑なところだ。


最後、白い衣装で出てきたマリーと欣也はまるでアダムとイブのような、マリアとキリストのようなそういう精神を越えた繋がりのようなものを感じた。
一度母親を捨て、外の世界へと出て行った欣也は、母親と生きることを選んだ。
それは自分が母親を必要としていたのか、母親の姿があまりにも見ていられなかったからなのかは分からない。

 

「中が本当と思わせるには表をウソで固めなきゃならない」など、マリー達が発する台詞はどれも哲学的で、考えさせられることばかりだった。
寺山さん自身、母親とは色々あった方のようで、それも脚本に影響しているらしい。
時間が出来たら寺山さん関連の書籍の方も読んでみたい。

 

「毛皮のマリー」

日程
2016年4月2日 (土) ~2016年4月17日 (日)  新国立劇場 中劇場
2016年4月27日 (水) ~2016年5月3日 (火)  パルコ劇場
2016年5月28日 (土) ~2016年5月29日 (日)  KAAT神奈川芸術劇場 <ホール>

作:寺山修司
演出・美術・主演:美輪明宏
出演:美輪明宏 勧修寺保都
木村彰吾 若松武史 梅垣義明 
江上真悟 大野俊亮 プリティ太田
小林永幸 真京孝行 大曽根徹 田中稔 高田賢一 小谷真一
澤田誠 荻原謙太郎 吉田大樹 長田拓郎 見雪太亮 月岡弘一
松田拓磨 加藤真悟 山田健太 掛川太地 小早川俊輔
會田海心 鈴木翔吾 小池亮介 長田翔恩


 

戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている (角川文庫)

戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている (角川文庫)

 

 

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