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観劇こそ我が人生

~観劇備忘録~

NTL「フランケンシュタイン」BC怪物・BC博士両.Ver【感想】

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今更ながら、ナショナルシアターライブの「フランケンシュタイン」BC(ベネディクト・カンバーバッチ)怪物verとBC博士verの両方を見てきました。
日本初上映時、見に行きたいと思いつつも、都合が合わずで早2年。ようやく見ることが出来ました。
もう何度目かも分からないアンコール上映にただただ感謝!


科学的で哲学的で、人間の根本となるものを考えさせられるようなメアリー・シェリーの原作に沿ったお話なのだけれど、無垢なベネディクト・カンバーバッチの怪物がとても可愛らしくて愛らしくて、創造意欲と知的好奇心にギラギラと興奮するジョニー・リー・ミラーのヴィクター博士の方が怪人に見えるようなBC怪物Ver。
それに対して、ジョニー・リー・ミラーの怪物は、頭が良く、復讐によるコミュニケーションを愉しむ人間臭さがあり、ベネディクト・カンバーバッチのヴィクター博士は、貴族のような上品さがあり知恵もあるが、実験以外の人とのコミュニケーションなどの経験がなく、どう接すればいいのかが分からないという困惑の方が大きい博士に見えたBC博士Ver。

意外と笑えるシーンがあったのと、ネチネチとダークに進む脚本なのかと思いきや、シーン転換のテンポも良く、あっさりとしていたので見やすかったと思います。
演出もシンプルで、照明効果も素敵。
そして、ゴシックホラーかと思いきや、意外と純愛なストリーでした。

※以下。ネタバレ注意※

簡単なあらすじ

スイスにある名家の長男で、自然科学を研究していた若者ヴィクター・フランケンシュタイン。
故郷のジュネーブを出て、インゴルシュタットの大学で最新の化学に触れた彼は、好奇心を突き詰めていく中で、いつしか「理想の完璧な人間」を作ることを夢見始める。
もしも人間を創造することに成功すれば、人類を更に進化させることが出来るかもしれない。
自分がやろうとしている行為を危険だと感じながらも、科学者としての知的好奇心を抑えきれず、墓場から掘り起こした死体のつぎはぎで、彼はついに人間を創り出すという禁忌を犯す。
ヴィクターによって作りだされた怪物は、肉体こそ完璧なものの、あまりにも筆舌に尽くし難い、醜い容姿であった。
その不気味さと、自分が人間を創ってしまったという恐怖心から、ヴィクターは思わず怪物を一人残して逃げ出してしまう。

強靭の肉体を持った怪物は、しばらく森の奥でひっそりと暮らしていたが、盲目の老人と出会い、その老人から教養や言葉を教わる。
やがて言葉と文字を覚えた怪物は、自分を創った人間がヴィクターだと知る。
ヴィクターの居場所を突き止めた怪物は、伴侶となりえる自分と同じ怪物の女を作って欲しいと彼に頼み込む。
純粋で善人であった怪物は、醜い容貌が故に多くの人間に嫌われ、疎まれ、孤独だった。
そんな怪物の願いを一度は聞き入れ、怪物の女を作り上げたヴィクターだったが、その怪物がやがて子を作り、種族が群れをなして暴れまわることを恐れたヴィクターは、自らの手で怪物の女を破壊してしまう。
ヴィクターに裏切られ、怒り狂った怪物は、復讐としてヴィクターの花嫁を殺害し、逃亡する。
自分の手で怪物を殺すために怪物を追い掛けるヴィクターと彼から逃げる怪物。
やがて二人は北の果てにある北極へと辿り着くが……。

感想

「フランケンシュタイン」という言葉を聞くと大概の人は怪物の名前だと思っていて、私もその中の一人でした。
でもフランケンシュタインって博士の名前だったんですね。
怪物の方は、ヴィクターに名前を付けてもらえず、怪物としか呼ばれていない。
名前がないせいか博士の名前とつぎはぎ男の容貌だけが一人歩きして、怪物の名前がフランケンシュタインだと広まってしまった感じなのでしょうか。

ところで、このフランケンシュタインの原作者であるメアリー・シェリーは18か19歳の時にこのお話を書いたんだそう。
18だか19だかの女性がこんなお話を書くってパンチありすぎるでしょ。
…と、本編上映前の脚本家やディレクターのインタビューを見ながら思っていたのですが、本編を見終わった後、これを女性が書いたことにとても納得したんです。
科学的なものは置いておいて、本編を見ると分かるんですけど、創る側であるヴィクターと創られた側の怪物を人間に置き換えると産む側(母親)と産まれる側(子供)になるんですよね。
そして、人間を産む行為は今のところ人間の女性にしか出来ない。
でもヴィクターは、本来女性でしかなし得ない人を創る役割を自分で行おうとした。
それと関連しているのかは分かりませんが、1幕で怪物は母親のお腹の中のような膜に包まれた球体から出てきます。

自然科学を突き詰めるうちに生命創造への夢を膨らませた彼は、人間として、あり得ないことに無から人間を創造してしまいます。
怪物を創り出すことに成功した彼は、のちにもう一人の怪物を創ることになるのだけれど、その時の台詞に「私は人間を創ることが出来るんだ。神と同じように」というものがあります。
それを聞いて、私はアスクレピオスの神話を思い出しました。
アスクレピオスは星座でいうところのへびつかい座なんですけど、このアスクレピオスは医術の技がかなり高く、様々な死者を甦らせてしまった為、世の秩序を乱す行いとしてゼウスの怒りを買い、ゼウスの雷で撃ち殺されてしまいます。
映画鑑賞後にちょっとその辺を調べてみたんですけど、やはりこの作品にはヘルメス(錬金術師の祖)主義に近い思想がどうやらあるようです。


話を戻しましょう。


先程も書きましたが、怪物は母親のお腹の中のような膜に包まれた球体(実際は布)から出てきます。その怪物が生まれた瞬間から立ち上がれるようになるまでのシーンが体感3、4分程度あるのですが、ここが役者さんの凄いところで、生まれたての小鹿のように少しずつ少しずつ立ち上がるんですよ。
立ち上がって走る喜びを覚えたり、日の光の暖かさに触れてみたり、初めて尽しの体験に怪物は喜んだり痛がったり悲しんだりします。
それを見ていると、愛らしくて愛おしい気持ちになりました。
そんな無垢な子供のように全てに喜びを感じていた怪物が、教養を身に付け、善を全うしようとするも、醜い容貌のせいで忌み嫌われ、蔑まれることで人に絶望し、復讐で心が満たされる流れは現代でも尚続く社会問題を彷彿とさせるようでした。
怪物の演技はベネディクトさんが好みだったかなあ。

一方のヴィクター博士は、ジョニーさんの博士が分かりやすくて好みでした。
生命創造への背徳心と好奇心のせめぎ合いや、恐怖心、興味対象への視野の狭さなどなど、目に見えない狂気みたいなのもが滲み出ていてとても良かったなぁと。何を考えているのか分からないところも含めて。
ベネディクトさんのヴィクターは某高機能社会不適応者を思い出させるほどコミュニケーション能力が低いものの、人間らしさは残っている気がしたんですよね。
「自分は人間を創造出来る神になったんだ」って自惚れそうなタイプでした。
それに対して、ジョニーさんのヴィクターに関しては、エリザベスさえも一人の女性というよりはひとつの個体としてしか認識してなさそうな無頓着さを感じました。実験や勉学以外に時間を使う意味が理解出来ていなさそう。
怪物の女を創ることになった時も、仕方がないというよりはまた新たな試みに対しての高揚感が隠せないタイプでした。

見る順番がBC怪物ver→BC博士verだったのもあるんでしょうけど、私はBC怪物verの方がしっくりきたみたいです。
BC博士verを見終ったあとにBC怪物verをもう1回見たくなったのだけれど、そっちを見たらまたBC博士verを見たくなりそうです(笑)永遠のループ(笑)
DVD化しないのでなおさら。

ただ人に愛されたかっただけの怪物と、人の愛を拒み続けたヴィクター。
ヴィクターが怪物のことを失敗だと言ったように、ヴィクターの父親がヴィクターの育て方を失敗したと言った時、あ、この2人は本当に鏡合わせの存在であり2人とも同じ孤独の中に居るのだなと思いました。
だからこそWキャストでやることに意味がある。


スクリーン越しとはいえ、上等な芝居を見ることが出来るこのプロジェクトにはただただ感謝。

 


ナショナル・シアター・ライブ
「フランケンシュタイン」
演出
ダニー・ボイル(『スラムドッグ$ミリオネア』『トレインスポッティング』)
原作
メアリー・シェリー
脚本
ニック・ディアー
キャスト
ベネディクト・カンバーバッチ(『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』、BBCドラマ「SHERLOCK(シャーロック)」シリーズ)
ジョニー・リー・ミラー(『トレインスポッティング』)
作品情報
上映時間:2時間15分
受賞ノミネート
ローレンス・オリヴィエ賞 主演男優賞W受賞
ベネディクト・カンバーバッチ ジョニー・リー・ミラー

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